
類聚雑要抄(1672年−寛文12年)という江戸時代の書物の中に、西暦1115年(永久3年)に「かまぼこ」が貴族の祝賀料理として用いられたと記載されています。
当時京都で流通していたかまぼこは、「ちぬの海」と呼ばれた大阪湾で獲れた魚を原料にして大阪で生産され、淀川を利用して京都へ運ばれていました。
今ほどの冷蔵技術は無く、途中で腐らないために焼いたかまぼこの技術が、大阪かまぼこ伝統の「焼きかまぼこ」として現在も継承されているのです。
その後大阪は日本の商業の中心地として栄え、明治18年11月には大阪のかまぼこ業者82名が『蒲鉾業仲間規約』を設け、一致団結したものが現在の大阪かまぼこ組合の始まりです。
時代の変遷により何回か名称を変えましたが、昭和32年6月「水産業協同組合法」に基づく「大蒲水産加工業協同組合」となり、現在に至っています。